船橋ではたらく、あの人にインタビュー
「子どもたちに楽しい原体験を!」パン屋の枠を超えた地域活動から、次なるステージまでインタビュー!

お店のシンボルでもある看板と、笑顔の高村清太郎さん
船橋で活躍する企業や個人の方にスポットを当てる企画「船橋ではたらく、あの人にインタビュー」。 今回は、船橋市芝山にある老舗パン屋「アーノルド・フジ・タカムラ」の店主、高村清太郎さんにお話を伺いました。 創業から49年、芝山団地の変遷とともに歩み、地域の人々の胃袋と心を満たし続けてきた同店。名物のカレーパンから、思わずクスッと笑ってしまう名物看板、そして惜しまれつつも閉店を決断した背景から次なる挑戦まで、大長編でお送りします!
まいぷれ編集部 本日はよろしくお願いします!今年で創業49周年を迎える「アーノルド・フジ・タカムラ」さんですが、オープン当時はどのような様子だったのでしょうか?
高村さん 昭和52年(1977年)の3月31日、芝山団地の入居が始まる前日にオープンしたんです。当時は駅もなく、バスも1時間に数本しかないような、まさに「陸の孤島」でしたね(笑)。
まいぷれ編集部 陸の孤島! 今の姿からは想像もつきません。ではパン屋さんを始められたきっかけはなんだったんでしょうか。
高村さん 実は当時、芝山団地の造成に合わせてこの商店街が作られたんですが、区画ごとに「何屋をやるか」が最初から決められていたそうなんです。たまたま空いていた枠が「本屋」と「パン屋」でして。そこで親父は「やるならパン屋だ!」と即答し、そこから半年間の猛特訓でお店をオープンさせました。
まいぷれ編集部 究極の二択ですね!(笑)店名もその当時から変わっていないんですか?
高村さん 親父が昔、大手パンメーカーの系列のお店として始めたことが由来なんです。フランチャイズが終わっても同じ名前で数十年続けてきました(笑)創業当時はスーパーもなく、この商店街が地域の中心として大いに賑わっていたんですよ。

創業から約半世紀、芝山団地の住民の暮らしを支え続けてきた
まいぷれ編集部 創業当時は賑わっていたとのことですが、高村さんが一度地元を離れ、26歳で戻ってこられた時には、商店街の様子は随分変わっていたそうですね。
高村さん そうなんです。戻ってきた時にはすでに空き店舗が7つほどあって、年に1店舗のペースで減っていくような状態でした。その後、様々なことがあって残り10店舗にまで減ってしまったんです。すっかり活気を失っていて、このままでは商店街自体がなくなってしまうんじゃないかという存続の危機でしたね。

取材当時の芝山団地商店街の店舗一覧。
高村さんが戻ってきた当時は半分ほどだったそう。
まいぷれ編集部 それはショックですよね……。そこから危機感を抱き、なんと29歳の若さで商店街の会長に就任されたと伺いました。周囲のベテラン店主さんたちからの反発や温度差はなかったのでしょうか?
高村さん 最初はもう、温度差だらけでしたよ(笑)。経験の浅い若者が急に入ってきても「好きにやってください。これ以上お金や手間はかけたくないし、イベントをやるのはいいけど、うちの店の前は使わないでください」という雰囲気で、完全に壁がある店舗も多かったですね。
まいぷれ編集部 その強い逆風の中で、どのように周囲を巻き込んでいったのですか? 若きリーダーの熱意が伝わったきっかけがあったのでしょうか。
高村さん 会長になって少し経った頃、隣の商店会長が急に行けなくなった視察研修に「代わりに行ってきて」と頼まれて参加したんです。そこで大阪の「100円商店街」という取り組みを知ってワクワクしたんですが、帰ってきて提案しても「100円じゃ儲からないよ」と、結局誰も乗ってこなくて。
まいぷれ編集部 そこからどう説得されたんですか?
高村さん 説得はしませんでした(笑)。たまたま研修に一緒に行っていた別のお店の人と「じゃあもう2人でやろうぜ!」と、千葉県初開催を勝手に強行突破でスタートさせちゃったんです。まずは自分たちでやってみて、イベントを仕掛けていくうちに、少しずつ商店街に活気が戻っていきましたね。

商店街の活気は、芝山団地に住む人々の笑顔にもつながっていく
まいぷれ編集部 創業から49年、毎日たくさんのパンを焼かれてきたと思いますが、これまでに累計でどれくらいのパンを作ってきたのでしょうか?
高村さん ざっと計算してみたんですが、1日平均700個だとして……なんと約1000万個ですね! 千葉県の人口を軽く超えるくらいのパンを焼いてきたことになります(笑)。

毎日たくさんの種類のパンが並ぶ店内。
手書きのポップに温もりを感じる。
まいぷれ編集部 1000万個!! それはものすごい数字ですね。それだけ多くの方の胃袋を満たしてきた中で、不動の一番人気はどのパンですか?
高村さん やっぱり「カレーパン」ですね。これは創業当時からほとんど変わっていない、うちの看板商品です。初めてカレーパンを揚げたという職人さんからレシピを受け継いでいるんですよ。
まいぷれ編集部 歴史の詰まったカレーパンなんですね! 看板商品がある一方で、高村さんご自身が特に思い入れのあるパンや、こだわっているパンはあるのでしょうか?
高村さん 個人的には「ちくわパン」が好きですね。実は味や食感にはかなりうるさくて。例えば、ちくわと一緒に中に入れる野菜は、火が通り過ぎてグニョグニョになったものは絶対に入れたくないんです。しっかりシャキシャキ感が残るようにキャベツの芯に近い方を使用していますし、マヨネーズとのバランスなど、細かい部分の味付けにも一切妥協はしていません。
まいぷれ編集部 聞いているだけでお腹が空いてきました……! 職人としてのプライドを感じます。
高村さん 今はオシャレで洗練されたパン屋さんがたくさんありますし、比べられることもあります。でも、僕は「学校帰りに買ったような、食べた時に思い出に残るパン」をどうしても残したいんです。「他のオシャレなパン屋と比べられても、自分はこれを残すんだ」という強い思いで、毎日丁寧に作っています。
まいぷれ編集部 お店の前を通ると、高村さんの「顔」のイラストが描かれたユニークな看板がドーンと目に入ってきて、思わずクスッと笑ってしまいます。パン作りへの情熱はもちろんですが、あのような仕掛けや、地域のイベントに積極的に参加されているのには、どのような思いがあるのでしょうか?
高村さん あの看板は、かつて商店街の照明が暗くて寂しかった時に、少しでも雰囲気を明るくしたいと思って作ったんです。極端な話、「うちでパンを買わなくてもいいから、ここを通るみんながワクワクして、笑って話題にしてくれる場所にしたい」という思いが根底にありますね。
まいぷれ編集部 「パンを買わなくてもいい」とは、パン屋さんとしては思い切った言葉ですね! 漁港の朝市など、様々なイベントにも出店されていますが、それも「楽しませたい」という気持ちからですか?
高村さん そうですね。売上を上げるというよりも、来てくれた人、特に子どもたちに楽しんでもらいたいという気持ちが強いです。そして、さらに力を入れて取り組んできたのが、「芝山団地まつり」の復活でした。僕自身が子どもの頃からずっと楽しみにしていたお祭りなんですが、町会の運営メンバーの高齢化などで、一時は存続が危ぶまれていたんです。
まいぷれ編集部 歴史あるお祭りがなくなってしまうのは寂しいですね。存続の危機にあった「芝山団地まつり」では、高村さんご自身が自治会の実行委員会に飛び込み、運営の中心的役割を担って復活させたと伺いました。
高村さん はい。話し合いでは「もう体力的にできない」という声も多く、最初は大変でした。僕が「旗振り役」としてゼロから始めたというよりは、実行委員会に飛び込んだという感じなんです。僕が子どもの頃に経験した「お祭りの楽しい思い出」って、決して「当たり前」にあったわけじゃなく、当時の大人たちが一生懸命頑張って作ってくれていたんですよね。そのことに気づいた時、「自分が子どもの頃に経験した楽しい原体験を、今の子どもたちにも当たり前に作ってあげたい」と強く思いました。そこで同世代の父親たちはもちろん、10代・20代の商店街の若手ボランティアたちにも声をかけ、みんなで協力してなんとか開催にこぎつけることができたんです。

不動の人気No.1! 高村さんのこだわりが詰まったカレーパン。

漁港の朝市をはじめ、様々なイベントにも出店。パンを売ること以上に「地域や子どもたちを楽しませたい」という思いが原動力だ
まいぷれ編集部 地域の方々からこれだけ愛され、お店も大盛況の中で、今回「閉店」という決断をされたのには、どのような背景があったのでしょうか?
高村さん 一番のキッカケは、機械が壊れ始めてこれからの決断を迫られたことでした。老朽化した機械を2000万円以上かけて買い替えて、1日18時間近い今の働き方をあと15年、20年と続ける覚悟があるか?と自問自答したんです。その時に、家族との時間をもっと大切にしたい、そして自分が本当にやりたい事にも挑戦したいという想いが強くなりました。
まいぷれ編集部 なるほど……。機械の故障が、ご自身の人生と真剣に向き合う大きなきっかけになったのですね。スタッフさんに任せてお店を残すという選択肢はなかったのでしょうか?
高村さん もちろん、お店が良い状態なので、続けながら自分のやりたい事ができないかとも考えました。ただ、現状完全に任せられるスタッフがいなかったんです。もし誰かに任せて自分が関わらなくなった結果、お店の評判が落ちて悪い印象のまま終わってしまうくらいなら、たくさんのお客さんに喜んでいただけている「一番良い状態の今」、潔く幕を下ろすのがベストだと決断しました。
まいぷれ編集部 お店やお客様を大切に想う職人としての責任感があるからこそ、最高の状態の今、区切りをつけることを選ばれたのですね。悲しい閉店というより、高村さんご自身のやりたいことに向かうための、前向きな決断でもあると感じました。
高村さん はい。今こそ、次のステップに進むチャンスなんだと思いました。 実は、先代である親父からは「売り上げをすごい戻してくれて、本当にすごいなと思うよ」「俺のほうがまだパン作れるけどな」なんて言われたんですが(笑)。その後に、「でも、お前が本当にやりたいことをやったら、今の1000人じゃなくて、10万人、20万人の人を喜ばせることができると思うよ」って背中を押してくれたんです。それが、前向きに次へ進むための大きなエネルギーになりましたね。
まいぷれ編集部 お父様からのそのお言葉は、何よりの勲章であり、力強いエールですね! 最後に、お店を閉めた後の「次なるビジョン」があれば教えていただけますか?
高村さん 今後のビジョンとしては、大きく2つあります。1つ目は、全国のまちづくりの仲間の取り組みを視察して回ることです。まずは市内の商店街が「どこも明るくて楽しいね」と言われるように、そして何十年かかけて「日本中どこの商店街も楽しいよね」と言われるようにしていきたいんです。さまざまな商店街に、それぞれに合う事例を紹介できるよう、しっかり勉強していきたいと思っています。
まいぷれ編集部 日本中の商店街を楽しく! 素晴らしい目標ですね。もう1つは何でしょうか?
高村さん 2つ目は、将来的に「スナックのママ」になることです(笑)。疲れたサラリーマンや地域の人がふらっと立ち寄れて、「あしたもがんばろー!」と思ってもらえるような居場所を作れたらいいなと思っています。パン屋としての役割は終わっても、親父が言ってくれたように、たくさんの人を笑顔にする仕掛けはずっと続けていきたいですね。
まいぷれ編集部 「スナックのママ」ですか!(笑) 高村さんの次なる挑戦が今からとても楽しみです。本日は熱いお話を本当にありがとうございました!

編集部へのお土産に
アーノルド・フジ・タカムラ
開店日:1977年3月31日
閉店日:2026年3月15日
所在地:〒274-0816 千葉県船橋市芝山3-10-2
公式Instagram:https://www.instagram.com/a.f.takamura/
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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