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ふなばし人脈駅伝

大野和彦さん インタビュー

船橋漁港のハチマキ親父

2015/06/09

大野 和彦(おおの かずひこ)さん

船橋の好きなところ:居心地の良さ、それも人の善さゆえ!

株式会社大傳丸 代表・船団長           
船橋市湊町3-20-6  047-437-1450        
株式会社海光物産 代表取締役
船橋市湊町3-20-7  047-435-2060

「ふなばし人脈駅伝」第26回!

こんにちは!
「ふなばし人脈駅伝」第26回をお送りします。
徐々に日差しが強くなり、暑くなってきた5月の某日、「人脈」取材班は……



船橋漁港。とても風が強い日でした。
船橋漁港。とても風が強い日でした。
海にいました。

本日ご紹介するのは船橋一の“海の男”。
先だってご紹介した近藤さんからは「すごく人望が厚い人で、ネームバリューなんかは僕なんかよりもはるかに上」と評されるこの方。
(株)大傳丸 代表・船団長
(株)海光物産 代表  大野和彦さん

です!

漁師の家に生まれた原体験

「おじいさんに育てられたという気持ちもあったし、『任せろ』と答えたんです。」

――朝早くからお時間いただきまして、ありがとうございます!
いえいえ。われわれ漁師は夜9時から動き始めて、漁に行って、朝8時から11時くらいに帰ってくるんです。それから昼飯、われわれにとっては「ディナー」ですが、食事をしてから休む。こんな流れですから、この時間はオンタイムなんですよ。

――体力勝負でとても大変だと思いますが、なぜ漁師に?
もともと父も祖父もずっと船橋で漁師をしていたんです。子どもの頃なんかは幼心に漁師になるんだろうな、なんて考えてました。ところが自分が高校を出るくらいの頃は、東京湾の水質汚染とそれにともなう不漁でとても後継者に「家業を継げ」といえるような時代ではなかったんです。
そこで親は大学に行って弁護士になってこいという。でも俺は「あ、あと4年くらいは遊んできてもいいのかな」なんて考えて、特に目的もなく大学に入りました。しかし周りが就職活動を始めて、自分もいろいろ見ているうちに商社に入りたいと思うようになったんです。
それを親に言ってみると「何を言ってんだお前は」と。どういうことかというと、4年の間に東京湾の漁業がまた活発になってきてたんですね。薄々覚悟はしていたけれど、自分の人生だしやりたいことも……と思っていたときにおじいさんが倒れてしまったんです。そのおじいさんに、死に際に手を握られて後を託されたんですね。
――おじい様から受け継がれた想いがあったんですね
そうですね。おじいさんに育てられたという気持ちもあったし、「任せろ」と言うしかありませんでした。だってずるいじゃないですか、こんなシチュエーション(笑)
でも若い頃は教育を受けてきたそれまでとのギャップを感じ続けていましたね。若いのは自分しかいなかったし、先行きの不安もあった。それで「中小企業診断士」の資格を取ろうとしたんです。その中で実習が必要だったんですが、漁を休まないと行けなかった。ところがそのときまた漁が活気付いてて、休ませてもらえなかったんです。じゃあもういいやと腹をくくって漁師一本に道を絞りました。

一通り漁師としての仕事を覚えて何とか船方として一人前になって、親から跡を引き継ぐことになったんです。漁労長として、漁の責任者になった。でも魚が取れないんですよ。“海を見る目”が大事なんですが、それって経験で養われるものなんですよね。周りは獲れるのに何で自分だけ、と苦しい思いもしました。でも一度決めた道だし負けず嫌いなんで、何か方法はないかと考えた。それで徹底的にデータを採ったんです。自分たちの分だけじゃなくて他の船の分も合わせて。そしたら徐々に“あたる”ようになってきて、周りから「意外とやるじゃねえか」とささやかれるようになりました。魚が獲れるといよいよ漁が楽しくなってくるんですよ(笑)