船橋・習志野なんとなくスクープ
船橋と習志野の市境のなぞ。地名の「なぜ?」にせまってみた。
なんとなく歩いて、スクープを探してみました
2016/04/26
実籾自然公園でしばしの休息を
徒歩の旅も100分を超えようかというところ。さすがに少しずつ体が疲労を感じてきています。
そして市境は、ちょうど実籾自然公園の園道の上を走っていました。
住宅地が多く、ずっとコンクリートの上を歩いていた僕の足が、土の地面に心地よさを感じています。忙しさを忘れられそうな空気感も相まって、自然と足が止まります。
そんなほんのわずかな休憩スポットも終わります。目の前には車行き交う街中です。
実籾自然公園を出ると、すぐそこには習志野高校が。
習志野市内でもトップレベルの知名度を誇る高校。その活発な部活動は全国区で活躍するほど。
カッコイイ
これまでの道のりでも、姿は見えていませんでしたがその吹奏楽の音色が高校の存在を主張していました。学校の周りでは、バスケットボール部(と思われる)お兄ちゃんたちが、精一杯ランニングしていました。今の僕にはない若さに憧れを抱きます。
習志野高校はこの春に、県内公立高校初の人工芝グラウンドを導入したとのこと。そのグラウンドではサッカー部(であろう、さすがに)が楽しそうに部活動にいそしんでいます。
この人工芝は、“toto”の助成を受けて導入されたそう。
スポーツ振興くじ“toto”は、国が認める公営ギャンブルのひとつ。そのお金はこういった公共施設の充実、社会福祉にあてられているんですね。
楽しみながら、社会福祉に関わる取り組みは、素敵ですね。
そしてついにスクープ発見か!?
もう半ばスクープを諦めながら、とぼとぼ歩いていると、目の前にこんなプレートが。
緑のプレートに“習志野”の文字が。みなさん、おぼえてますでしょうか、緑は船橋、青が習志野でしたよね。実際に歩いている時にこれに出会った瞬間の衝撃たるや! 二度見しました。「プレートの色、間違えてますよ!」と思いつつよく見てみると……。船橋市の街区表示板でした!
船橋市なのに習志野。これはスクープ発見です!かね?
なんでこんな分りにくいことになっているのだろう、と、とっても気になったので、郷土資料館に寄り道してみました!
寄り道:郷土資料館にて
郷土資料館には……
こんな石碑がありました。
フムフムフム。習志野の地名の由来について書かれています。これによると、
習志野という地名は、このあたりが明治時代に陸軍の演習場となっていた時に明治天皇によって“習志野原”と命名されたそうです。
当時の習志野は船橋市東部のあたりを指していましたが、その後駐屯地や捕虜収容所などの軍関連施設全域を含む広域を指す地名となったそう。
習志野市ができる時に、船橋市に合併される地域と習志野市になる地域とに分かれたことによって、“船橋市習志野”という地域ができあがりました。
なるほどー……こんな面積の小さい習志野市に、こんな歴史があったとは初耳でした。
ささやかな知的好奇心も満たされたところで、再び今回のゴール、市境の終点を目指します!
ゴールはもうすぐです!
幸いスクープは見つかりましたが、始めた散歩はゴールまで続けなければ。と、もう少しだけ頑張ります。
まもなくゴールというタイミングで、「カインズ船橋習志野店」が。こんなところにも地名の謎の弊害が生じていました。
船橋と習志野の両方を名乗っちゃうという思い切りのよさ! 僕は好きです。
と、思いつつ歩いていくと……
行き止まり
通行禁止の文字に阻まれました。この場所がこの旅の終着点です。
船橋、習志野、八千代市の3つの市にまたがる地点です。
“陸上自衛隊習志野駐屯地” なるほど。先ほど勉強した軍用施設の一部は、現在陸上自衛隊がつかっているのですね。あっさりとした華やかさのないゴールですが、今回の旅の終着点としてふさわしいかもしれません。
今回の旅はここまでです!
今回のなんとなくスクープ!
船橋と習志野の間には地名でつながるご縁があった。
あとがき
散歩の旅は3時間近くに及びました。なんとなくで始めたわりに健康的な距離でした。歩いてみると、船橋と習志野の境目は、本当に境がわからないくらい馴染んでいて、時には迷子になりながらいろいろな景色を楽しめました。セットに語られるのにもゆえんがあったのですね。量の都合で省いた部分もたくさんあります。名前の由来や市制が施行された時に何があったのか調べるのも楽しかったです。でもやっぱり、実際に歩いてみて目で見た発見に出会うのをおすすめします! みなさん、よい散歩を! また散歩スクープもやりたいなあ。
さいごに、オマケ
(引用元:wikipedia)
この図の黄色の所が習志野の名前の元となった“習志野原”軍用施設のようです。圧倒的に船橋市の方に寄って位置してますね。